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東京高等裁判所 平成4年(ネ)1574号 判決

控訴人

田中一雄

田中ヒロ子

右両名訴訟代理人弁護士

海野宏行

中川明

石川恵美子

児玉勇二

影山秀人

被控訴人

國原正光

神奈川県

右代表者知事

長洲一二

右両名訴訟代理人弁護士

福田恆二

被控訴人神奈川県指定代理人

隅田清一

外一名

主文

一  控訴人らの被控訴人國原正光に対する各控訴をいずれも棄却する。

二  原判決主文第三項(控訴人らの敗訴部分)中、控訴人らの被控訴人神奈川県に対する一四三〇万円を超えて一五七〇万円に至るまでの金員及び内金五〇万円に対する昭和六二年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員の各支払請求を棄却した部分をいずれも取り消す。

三1  被控訴人神奈川県は控訴人田中一雄に対し、一四〇万円及び内金五〇万円に対する昭和六二年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人神奈川県は控訴人田中ヒロ子に対し、一四〇万円及び内金五〇万円に対する昭和六二年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  控訴人らの被控訴人神奈川県に対するその余の控訴をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、控訴人らと被控訴人國原正光との関係では、被控訴人國原正光について生じた控訴費用を控訴人らの負担とし、控訴人らと被控訴人神奈川県との関係では、第一、二審を通じて控訴人らに生じた費用の五分の二と被控訴人神奈川県に生じた費用を被控訴人神奈川県の負担とし、控訴人らに生じたその余の費用を控訴人らの負担とする。

六  この判決の主文第三項1及び2は、本判決が送達された日から一四日を経過したときは、仮に執行することができる。

事実

一  控訴人らは、「1 原判決中控訴人らの各敗訴部分をいずれも取り消す。2 右各取消に係る部分につき、(一) 被控訴人國原は、①控訴人田中一雄に対し、一四三〇万円及び内金一三〇〇万円に対する昭和六二年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。②控訴人田中ヒロ子に対し、一四三〇万円及び内金一三〇〇万円に対する昭和六二年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。(二) 被控訴人らは、①控訴人田中一雄に対し、各自二一四四万〇三二〇円(一四三〇万円を超え三五七四万〇三二〇円に至るまでの金員)及びこれに対する内金一九四九万一二〇〇円に対する昭和六二年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。②控訴人田中ヒロ子に対し、各自二一四四万〇三二〇円(一四三〇万円を超え三五七四万〇三二〇円に至るまでの金額)及び内金一九四九万一二〇〇円に対する昭和六二年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求めるとともに、右第2項(一)、(二)及び第3項につき仮執行の宣言を求めた。被控訴人らはいずれも、各控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張

当事者双方の主張は、次のとおり、当審における新たな主張を付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  被控訴人らの責任と責任の根拠について

(控訴人ら)

(一) 国家賠償法を適用する事案においても、当該公務員に故意ないしこれと同視すべき重大な過失がある場合には、当該公務員の個人責任を肯定すべきである。かくて肯定される公務員個人責任は、民法七一五条の場合における通説判例の見解の趣旨に準じ、使用者である国または公共団体の責任と不真正連帯の関係に立つと解するのが相当である。

(二) 被控訴人の神奈川県独自の責任原因は、ⅰ伊勢原養護学校の体質が体力主義・体罰主義にあり、この体質が同校に蔓延していたことの延長線上に本件事故が発生したことによるものである。同県は、同校の体力主義・体罰主義の体質を十分把握していながら、極めて不十分な対応しかとらず、かえってその体質を容認していた。したがって、同県はかかる体力主義・体罰主義の体質の下で、必ずや本件のごとき暴力的指導から悲惨な事故が発生することが当然に予見できたにもかかわらず、これに対する根本的な対策を講じなかった過失がある。ⅱ同県には養護学校におけるプール指導についての安全に関する人的物的設備を整備しなかった過失がある。すなわち、同県は、同県内の養護学校教育における水泳指導に際し、水泳が常に溺死の危険を伴うことを充分認識して、特に水に対して著しい恐怖感を抱いているため泳げない生徒に対して、水泳指導計画を研究策定するについて、まず、水泳開始の時期につき、本件のように学年、クラス担任が変わった場合には、クラス担任が生徒の性格、個性等を充分に把握できた時期からにすることとし、この種の指導に適切な知識、経験、能力を有する指導監視員を適切な人数配置し、担任指導・監視員についてヘルパー等の安全な指導方法を周知徹底せしめるとともに、監視台を設置する等して生徒の安全を確保すべく、生徒に事故が発生したならば、すぐに発見でき、直ちに救急活動が実施可能なような充分な人的、物的設備を整備すべき義務を負っていた。それにもかかわらず、同県は、何ら具体的な水泳指導計画を研究策定することもなく、年間一九回もの、しかも、担任による各生徒の把握もできず、生徒と教師の信頼関係も確立していない新学年になってわずか一〇日目(授業としては七日目)から水泳指導を開始することを容認し、何ら水泳指導について適切な知識、経験、能力を有しない指導教諭の個人的判断に任せていたのみならず、マンツーマン指導における安全への過信から救急体制の整備等の人的・物的設備を整備しなかったため、本件事故を発生させた過失がある。しかるに原判決は、控訴人らが原審で主張した被控訴人神奈川県の責任について、単に被控訴人國原の重過失を認定し、国家賠償法一条に基づく責任を肯定したのみで、その余の被控訴人神奈川県独自の責任原因についての判断をしていないのは不当である。

(被控訴人ら)

(一) 控訴人らの右主張は、国家賠償制度の目的が損害填補にあり、民法と国家賠償法が、それぞれ体系の異なる文言を使用し、かつ、条文の立て方を異にしていることを忘却している。要するに、控訴人らの見解は、立法論としてはともかく、国家賠償法の解釈としては採りえない独自の見解であり、通説判例に反する見解である。

(二) 養護学校高等部の教諭は、生徒に対する「教育をつかさどる」職責を有し(学校教育法第二八条第六項及び第七六条)、また、学校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督するとともに、生徒に対する教育課程の編成を行う職責を有するものである(同法第二八条第三項及び第七六条、神奈川県立の盲学校、聾学校及び養護学校の管理運営に関する規則第六条)。さらに、被控訴人神奈川県の教育委員会は、公立学校における教育が一般的水準を確保するための指導を行い、または、措置を講じているものの、それぞれの学校の具体的な教育課程の編成及び実施は、各学校の責任で行っているものであるうえ、養護学校の生徒に対する教育課程の編成及び実施は、生徒の心身の障害の状態及び発達段階、地域及び学校の実態などに応じて、それぞれの学校において、創意と工夫をもって行われるべきであって、決して、画一的、固定的に行われてはならないのである。したがって、控訴人らの右主張のような神奈川県に責任を生じるような教育編成、実施をしていないはずである。控訴人らの右主張は根拠のないことであって失当である。

2  逸失利益の算定について

(控訴人ら)

一六才で死亡した敦の逸失利益算定にあっては、実務の大勢がとってきた平均賃金によって算定されるべきである。ところが原判決は、右敦の逸失利益を算定するにあたり、同人が卒業後の進路として地域作業所に進む蓋然性が最も高いと決めつけて、同作業所入所者の平均収入を基礎として算定し、実務の大勢がとってきた平均賃金を基礎とする方式を排除しているのは、次の三つの点で誤っている。すなわち、①平均賃金によって算定される年少者の死亡による損害の実質が、ほかならぬ子供を失ったことによる親の精神的打撃であるとすれば、親の悲しみは、子どもの障害の有無によって変わるものではない。現在の実務の支配的な考え方によれば、子どもが死亡した場合の親の悲しみは、親の固有の慰謝料として考慮される前に死亡した年少者の平均賃金により算定される損害の賠償が、名目は平均賃金により算定された逸失利益として、実質的には精神的ないし非財産的損害の賠償であるとすれば、子どもの障害の有無によって差を設けるべき理由はないから、敦の逸失利益もまた同様に平均賃金により算定するべきである。②原判決の立論には所得喪失説や稼働能力喪失説を前提としても問題がある。けだし、障害のない子が被害者の場合でも、その子どもの能力や可能性、将来の職業や収入などについて予測することは困難であるが、実務はそれらの個別・具体的事情を一切捨象して一律に平均賃金による算定を行ってきた。平等」にも適う合理的なものと考えられていたからである。人間の尊厳と法の下の平等、人間の価値の平等という規範的要素を重視して不合理な格差の是正に正面から努めるべきである。そこで、次の方法で具体的な敦の逸失利益の算定を試算する。

ⅰ(第一次的算定方法)

未就労男子一般の通常の計算方法により、平成三年度賃金センサス・男子労働者全年令平均賃金である五三三万六一〇〇円を基準として、別紙の1記載の算式により四三九六万九四六四円と算定される(死亡時年令一六才、一八才から六〇才までの稼働期間とするライプニッツ係数16.480をとり、生活費五〇パーセント控除)

ⅱ(第二次的算定方法)

平成三年の賃金センサス全労働者全年令平均賃金である年収額四五八万八五〇〇円を基準として、別紙の2記載の算式により三七八〇万九二四〇円と算定される(ⅰと同じ係数をとり、かつ同率の生活費控除)。

ⅲ(最新の神奈川県最低賃金)

仮に、賃金サンセスの数値を基礎としないとしても、神奈川県における最低賃金が保障されてしかるべきであるから、最新の神奈川県の最低賃金日額四九一〇円(甲第八〇号証「官報抜粋」を基礎として、月当たり二五日間稼働するとして別紙の3記載の算式により三四〇六万〇一七九円と算定すべきである。(平成三年度の神奈川県最低賃金一日あたり四九一〇円、一日の労働時間八時間、月二五日稼働、死亡時年令一六才に対応する(一六才より六〇才までの稼働期間とする新ホフマン係数23.123をとる。)

ⅳ 仮に敦の卒業予定時点である平成元年三月における神奈川県内における最低賃金を基礎とするとして算定すると、別紙の5記載の二七七四万七六〇〇円となる(一日当たりの最低賃金四〇〇〇円、一日八時間労働、一か月二五日稼働、死亡時一六才に対応する新ホフマン係数23.123)。

ところで、一般に死亡の場合の逸失利益の算出において、例えば昇給につき、明確な昇給規定が整備されていなくとも、その蓋然性が認められる範囲で考慮することができると考える。この考えからすれば、最低賃金の年毎の上昇は、乙第七九号証からも明らかであるから、敦の逸失利益の計算上も仮に最低賃金を基礎とする場合には、最新の年度の金額を前提とするのが公平である。

ⅴ なお、最低賃金を逸失利益算定の基礎とする場合には、その低廉な金額及び公的給付金等が生活費に充てられることからして最低賃金から生活費を控除することは不当であるし、さらに最低賃金は労働について経年や熟練化を度外視した、いわば「初任給」的金額を基礎とするのであるから、年少者の場合であっても中間利息の控除方法としては、ホフマン方式を採用するべきである。

ⅵ 仮に、被控訴人神奈川県が実施作成した平成四年七月一〇日付控訴人ら準備書面添付の別紙「乙第六三号証の進路調査からみる自閉症生徒の就職率と初任給」によるとすると、神奈川県内の県立精神薄弱養護学校高等部を卒業した自閉症男子の平均初任給は八万〇二八四円であるところ、敦は養護学校高等部卒業後は一般就職する蓋然性が高かったのであるから、逸失利益の算定については、仮に被控訴人ら提出の資料に基づく右金額(平均初任給月額八万〇二八四円)を基礎として別紙の4記載の算式により算定したとしても、二二二七万六八三三円となる。この場合も原判決にならい、生活費を控除せず、かつ、中間利息控除方式としてホフマン方式を採用すべきである。

(被控訴人ら)

敦の逸失利益について、控訴人らは、ⅰ第一次的には、平成三年度男子労働者全年令平均賃金により、ⅱ第二次的には、同年度全労働者全年令平均賃金を前提として算出すべきと主張するが、自閉症であり知能程度が通常でない敦の労働能力を考慮するかぎり、右の方法により算出される額は、敦の逸失利益の額としては著しく現実とかけ離れた不合理なものであり、損害賠償制度の本質に反する。また、控訴人らは、ⅲ第三次的には、最新の神奈川県最低賃金を前提として、敦の逸失利益を算出すべきと主張するが、この場合の算式では、控訴人らが前提とする最低賃金は一日八時間の労働を前提とし、かつ、一か月のうち二五日間労働に従事することを前提とするものであって、敦にとって非現実的なことは明らかである。また、この場合には生活費を全く控除せず、かつ、中間利息をホフマン方式をとっているが、たとえ最低賃金を基礎とする場合であっても、生活費を相当額控除すべきであり、また、本件のごとく、長時間にわたる中間利息を控除する場合は、ライプニッツ方式の方が相当である。さらに、控訴人は、ⅳ第四次的には、神奈川県養護学校卒業の自閉症男子生徒の平均初任給を前提として、敦の逸失利益を算出しているが、この場合も得べかりし収入額から生活費を相当額控除すべきであるし、また、本件のごとく長期にわたる中間利息を控除する場合はライプニッツ方式の方が相当である。

3  慰謝料について

(控訴人ら)

本件事故の慰謝料として、敦の慰謝料は原判決認定どおり一五〇〇万円が相当であるが、控訴人らの慰謝料は、原判決認定の控訴人各人につき各五〇〇万円宛ては不十分であり、各七五〇万円をもって相当とすべきである。

(被控訴人ら)

原判決の認定した慰謝料の額は、本件事故の内容及び諸般の事例などに照らし、十分な金額であって、それ以上の額とみるのは相当でない。

4  弁済その他総損害額からの控除について

(被控訴人ら)

① 日本体育・学校健康センターからの共済給付金(死亡見舞金)一四〇〇万円 これは同センターと被控訴人神奈川県間に締結された免責特約付災害給付契約に基づき、同センターから控訴人らへ支給された右共済給付金(死亡見舞金)の価額の限度で本件における被控訴人神奈川県の損害賠償責任が免責されるから、この金額は総損害から控除されてしかるべきである。

② 被控訴人國原による三〇〇万円の支払による損益相殺(当審における被控訴人らの新主張)この三〇〇万円は、総損害から控除してよいものである。

(控訴人ら)

① 日本体育・学校健康センターから控訴人らに給付された死亡見舞金一四〇〇万円は、被控訴人神奈川県の本件損害賠償債務のうち「同一事由」と目される損害費目額から差し引かれるにとどまり、総損害額から控除してよいものではない、本件の場合逸失利益だけから控除されるべきものである。

② 控訴人らが被控訴人國原から本件損害金として三〇〇万円の支払を受けたこと、この金額が控訴人らの被控訴人神奈川県に対する損害賠償金額から損益相殺により差し引かれてよい性質の支払金であることは認める。

三 証拠関係は、原審及び当審記録中の書証目録並びに証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  原判決掲記の争点1ないし4について

当事者間に争いのない事実は、原判決三枚目表八行目冒頭から四枚目表一〇行目末尾までに掲記の事実と同じであり、また、原判決掲記の本件各争点のうちの争点1ないし4については、右各点についての原判決理由中の説示(原判決五枚目裏一行目冒頭から一八枚目裏一一行目末尾まで)と同じであるから、これらを引用する。

なお、控訴人らは当審においても、国家賠償法一条に基づく責任以外の被控訴人神奈川県独自の責任とその原因を繰り返し主張し、原判決は右責任の有無につき判断しなかったと非難する。しかしながら、原判決はまず、国家賠償法一条の規定に基づく被控訴人神奈川県の責任の有無につき判断し、当該公務員である被控訴人國原の過失を認め、これを前提として同人の所属する地方公共団体である被控訴人神奈川県に対して同法一条の規定に基づく損害賠償責任を肯認しているのであるから、さらに進んでそれ以外に本件事故と因果関係のある国家賠償法上の損害賠償責任が被控訴人神奈川県にあるかを判断することを要しないため、控訴人らが主張するその余の同県独自の責任とその原因をさらに進んで判断するまでもないとしたものであって、右責任につき終局的な判断を示さなかったからといって、原判決に判断遺脱の誤りがあるとはいえない。なお、敷術すれば、控訴人らは、本件事故当時の伊勢原養護学校高等部には、体力主義・体罰主義が曼延していたとし、この事実があったことを前提として被控訴人神奈川県の責任原因を主張するようであるが、そのような体力主義・体罰主義が曼延していた事実を証するものとして控訴人ら側から提出されている甲第二六号証の一、二は、昭和五八年退職の元伊勢原養護学校の初代校長の時代の同校における教育等に関した回想文の類いのものであって、その記述やその他この点をいう控訴人田中ヒロ子本人の供述によっても、控訴人らのいう右主義の曼延していた事実とこれによって本件事故が発生したものと推断することは到底できないのである。そうすると、右の事実を前提とする被控訴人神奈川県の責任原因をいうことはできない。

二  原判決掲記の争点5(損害の発生と数額)について

1  逸失利益について

(一)  原判決一九枚目表三行目冒頭から六行目末尾までを次のとおり改めるとともに、これに続けてさらに付加、敷衍する。

「一般に、不法行為により死亡した年少者の逸失利益の算定については、双方から提出されたあらゆる証拠資料に基づき、経験則に照らし、でき得る限り蓋然性のある金額を算出するのが望ましいことはいうまでもないが、死亡した未就労の年少者の逸失利益の算定にあたっては、平均的な就労中の成人の死亡の場合に通常採られている賃金を基礎とする算定方式により算定される死亡当時の現価としての逸失利益と比較して、その年令とこれに伴う潜在的な不確実要因が往々あることからして、おのずから将来の発育の過程においてその能力が将来発展的に増大ないし減少する可能性があるから、なお、現時点で固定化して現価を算出するには不安定、不確実な要因等の存在も多分に予測され、これらを全く無視することができない場合がある。それ故、年少者の死亡時点における人間の能力、価値を固定化し、この時点に明らかにされている要因だけを基礎として年少者の死亡による逸失利益を算出することが、必ずしも絶対的な方途ということができない場合があると推察されるのである。このような場合には、不確実ながら年少者であるが故にまた潜在する将来の発展的可能性のある要因をも、それが現時点で相当な程度に蓋然性があるとみられる限りは、当該生命を侵害された年少者自身の損害額を算定するにあたって、何らかの形で慎重に勘案し、斟酌しても差し支えないものと考える。このことは、こと人間の尊厳を尊重する精神のもとで、ひとりの人間の生命が侵害された場合に一般化された損害の算式によりある程度抽象化、平均化された人間の生命の価値を算出する方法を取るなかで、これによる算定額によるのみならず、それが実損害の算定から掛け離れたものとならない限り不確実ながらも蓋然性の高い可能性をもつ諸般の事情をも十分に考慮されてもよいといえるからであって、このことは不確定要因の多い年少者の場合に往々いえることである。当裁判所は以上の観点から本件事故により死亡した当時満一六才の敦の逸失利益の額を評価・算定することとする。」

(二) 原判決一九枚目表一一行目の括弧末尾「証人篁一誠)」に続いて「によれば、原」とあるを削除し、右括弧の次に「、」を付しこれに続けて、以下を加える。

「甲第二五号証の一、二、第四一号証の一ないし四、第五二ないし第五四号証、第五六ないし第五九号証、第六〇号証、第六三号ないし第六六号証、第六八、第六九号証、第七〇号証の一ないし一四、第七一号証、第七二号証の一、二、第七三号証の一ないし四の二、第七四号証の一ないし一六、甲第七五号証ないし第八〇号証、乙第二五号証、第七〇ないし第七二号証、第七八、第七九号証、原審における控訴人田中ヒロ子本人の供述及び当審における証人林雅次の証言並びに弁論の全趣旨に照らせば、以下の事実が認められる。」

(三) 原判決一九枚目裏一行目冒頭から二一枚目表一行目末尾までを次のとおり改める。

「敦は、自閉症で本件事故当時満一六才であったことは前示のとおり争いない。そして敦の知能程度は、昭和五六年の小学校六年、中学入学当時IQは五五であったが、死亡直前の昭和六二年四月当時の敦のIQは中学入学時点より更に伸びて少なくとも六〇ないし六七位に上っていたこと、精神薄弱の程度はaないしdのランクづけのなかに敢えて入れるならば、満一六才六か月の時点で軽度のdランクに入るとみられること、もっとも、昭和六一年当時(高校入学前後の時期)に敦は自傷行為に及んだり、奇声をあげて跳びはねる状態がみられたが、これはデリケートな感受性をもった思春期の子どもに有りがちな症状で、自閉症の子どもに特有の症状でないこと、このような症状は単なるストレスに対する心理的反応として生じる心理的な問題として、思春期から成人に達すると漸次減っていくもので、その成長過程でその変化に耐えうる力がつけば、そのような問題は起こらなくなるであろうとみられていること、一般に自閉症児は、几帳面で融通のきかない面があるが、周囲(家庭、学校、職場)の配慮が十分行き届けば、知能指数に相応した社会的行動が十分にとれるようになること、実際にも、林医師の所属する東海大学医学部付属病院精神科で扱った児童のうち二〇人は一般企業に就職し正社員となった例があること、敦の場合も両親の厚い愛情による努力により、幼少の時(満五才)から東海大学医学部付属病院の実施する療育プログラムを開始し、個別・集団指導を併わせ受け続け、その能力を伸ばせた児童の一人であり、いわば自閉症の予後の良好な場合の例とみてよいこと、敦は食物のことや料理に興味をもち、学校でも料理の実習を受けパンやケーキを焼いたりお好み焼きを作ったりしたことがあり、伊勢原養護学校高等部卒業後は調理師になることを希望していること、敦は自分の身の回りの始末はもとより、読み書き、計算、ワープロ打ち、掃除機操作による掃除や靴洗いもでき、中学、高校時代とも一人で電車通学しており、万一就職しても勤務先への通勤に問題はないこと(もとより、就職には受け入れ側の配慮が必要だが、これがあれば問題は生じないこと。)、調理師試験に合格して好条件で就職できれば一〇万円弱程度の月給が得られる場合が実例としてあること、実際にも、林医師が東海大学付属病院で扱った児童の中で自閉症でIQ五五の児童がよく教育され調理師試験に合格し就職して右の程度の月給を得ている例があったこと、敦の両親である控訴人らも敦の右希望に沿った学習、就職をさせたいと考え、常時その協力を惜しまない意向であったこと、伊勢原養護学校高等部の昭和六一年度の卒業生三六名のうち地域作業所に入した者は一二名あった(乙第六五号証の一ないし三)が、昭和六二年度の卒業生二六名のうち地域作業所へ入所した者は六名にとどまっていること(乙第六三、第六六号証)、また、神奈川県内の精神薄弱養護学校高等部の卒業生の進路状況は、昭和六〇年度から同六二年度の三年間平均率は、地域作業所に入所した者と一般企業への就職者がほぼ同率の三〇ないし三一パーセント程度となっていること(乙第六四号証の三、第六五号証の三、第六六号証参照)、さらには、全国の特殊教育学校高等部卒業者の進路状況は、養護学校の精神薄弱生徒の37.9パーセント(六一七六名中二三四二名)は一般就職していることも文部省がまとめて発表した平成元年卒業者の進路調査(乙第六五号証)により判明していること。」

(四) 右に続けて行を改め、以下を付加する。

「  被控訴人らは、敦が伊勢原養護高等学校卒業後は卒業後の進路として地域作業所への入所を希望し、かつ、同校卒業生の進路としては、地域作業所に進む蓋然性が強いとして、右作業所平均収入(敦卒業年の平成元年三月当時の収入)を基準として逸失利益を算定するべきと主張する。しかしながら、前掲の林証言にみたとおり、昭和五七年(中学に入学の際)はIQ五五であったものの、その後のよい教育、学習、療育プログラムにより良く伸びた例として、死亡直前高校二年生・満一六才の敦はIQ六〇から六七程度までも上がり、身の回りの始末は自分でできるし、中学部、高等部とも一人で電車通学し何らの問題がなかったこと、そして、敦が希望する調理師の試験を受ける基礎となる読み書き計算ができ、よく学習を積めば試験に合格できる可能性が少なからずあること、したがって、敦は伊勢原養護学校高等部卒業後は周囲ないし受け入れ側の対応に助けられれば、希望する調理師として、あるいはその他一般の企業へ就職して、稼働できる能力や体力も備えていることが推察できるのであり、多くの療法症例を扱う精神科医の目からみて、その可能性もかなり高いと判断されるというのであり、また、敦にとって周囲の環境は良く、満五才から一六才の死亡直前まで一一年もの間両親の教育熱心と深い愛情による努力に支えられて東海大学医学部付属病院精神科へ通院し、同科の実施する療育プログラムを受けてきた敦を継続して診察してきたことなど前示の経緯に照らしみれば、これらの点につき、専門医として敦についての将来の可能性、蓋然性を推断して述べる林証言を信用できないとはいえず、むしろ、これを排斥するさしたる理由がないのである。そして、伊勢原養護学校高等部卒業生の進路状況は、地域作業所に入所した者と一般企業に就職する者とは、ほぼ同割合であることは先にみたとおりであって、その点でも一概に敦は必ずや地域作業所へ入所するしかないと断定することはできないのである。むしろ、前掲林証言によれば、敦の能力であれば、自閉症児であっても一般企業に就職することも受け入れ先に理解ある対応がある場合には、敦も良い療育プログラムや良い学習を早期から受け良く伸びた児童の例として、その高度な可能性を予測することができるのである。むしろこれを否定するに足る証拠資料はない。また、原審における証人篁一誠の証言並びに控訴人田中ヒロ子本人の供述によれば、敦は、食物、料理に興味があり、伊勢原養護学校高等部卒業後は調理師の仕事に就きたいと希望していたことが認められるのであって、また、現実にも、敦の死亡時の症状、能力でも、よく学習され、受け入れる職場の態勢ができれば、その実現の可能性はかなりあるものと林医師も推断していることに加えて、両親も敦の希望に沿うようにと努力を惜しまない態勢で学習させていること等前示諸々の事情を併わせみるかぎり、また、敦の自閉症による不安定要素もその成長過程においてよく学習、育成されトレーニングされたことにより前示IQの数値の程度が向上し、精神障害の程度も軽度のランクでしかないこと、また、これを受け入れる周囲の環境が整いさえすれば相当の不安部分が発展的に解消していく蓋然性が高いと推察されるのである。そうすると、自閉症で軽度の精神薄弱であるというだけで、将来のよき育成、発展に背を向け、現在の一番確実な低収入を得るしかない能力で固定されてしまうと断定することはできない。そして、敦の死亡による逸失利益を認定するに当たっては、先に述べた観点から、むしろ成育過程における発展的解消、育成による向上、好転、安定化の要因を予測することができる限り、それら予測され得る要因をもできるだけ加味して、一般企業や希望する調理師としての仕事を得て地域作業所における工賃程度の収入より相当に高いレベルの稼働による収入を得ることができるとみてよいはずである。もっとも、敦の場合、得ることのできるとみられ得る収入は、全国労働者平均賃金を基準とする算定方式で算定される金額とすることも全く無理とはいえないであろうが、相当に控え目にみても、少なくとも四、五〇パーセント程度低額の収入を得るだけの能力は潜在的に秘めており、これが教育、トレーニングさらには職場、周辺の環境により受け入れられれば現実化されうるものと推察でき、実際にも、良く教育され伸びている状態の敦にとってそれは可能となるであろうことは、前掲証人篁一誠や同林雅次医師の各証言を信用するかぎり、これを積極的、肯定的にみてよいことになる(ちなみに、甲第四一号証の一ないし四、第七五号証の作成者であり原審証人である篁一誠は、東海大学医学部付属病院精神科へ通院してきた敦を初診時の満五才のときから死亡時の一か月前(高校二年満一六才六か月ころ)まで継続して検査・観察してきた同病院診療部精神科心理室の技師長であり、同人の長年の検査、観察をもとに作成された前掲甲第四一号証、第七五号証及び同人の証言、同様に同病院同科の専門医師として多く自閉症の年少者の症例を扱い、療育プログラムを実施して多くの症例を扱ってきている証人林雅次医師が自己の専門家の目で観察、診断した事実を注意深く真摯に述べる証言は信用でき評価することができる。そうすると、これら各証拠によっても、敦が一貫した療育プログラムを受ける中で能力的にも目覚ましく成長、発展していたことが窺えるのであり、将来は調理師試験をめざして学習をさらに積み、調理師試験に合格して調理師になれるか、そうでなくとも右希望する業種に関連する仕事に就職して稼働できる蓋然性が高いものであったと推察できるのである。)。」

(五) さらに、本件逸失利益の(総括)として、次のとおり付加、敷衍する。

①  以上にみたとおり、当裁判所が敦の逸失利益を算定するにあたって基礎とする得べかりし収入とみるためには双方から主張され提出されている通常の労働者の平均賃金を算定基礎とする方法は、そのままでは一〇〇パーセント絶対的に適切といえるものはない。しかし、さりとて、被控訴人らの主張する地域作業所入所による収入を基礎とする平均年間所得を算定基礎とするのでは、よく学習されよく伸びた例とされる敦の将来の発展性を秘めた可能性の要因を十分考慮して、その金額に止まらず、それが大幅な割合でアップされた金額をもって参考額のひとつとすることはできなくはないとしても、同作業所の作業による年収額が余りにも現実の労働に対する対価とは質的に異なるほど低廉(これを基礎とすると原判決の算定するとおり年間八〇〇〇円弱の数額を基礎とし敦の逸失利益総額は一二〇万円程度という低額なものとなる。)であるというのであれば、相当に大幅な修正を施さない限り、一人の人間の生命の現価として数額をもって評価するには、非現実的で労働による収入額とは掛け離れた数額となりかねないであろう。たしかに敦は、自閉症で知能障害があるとはいえ軽度なランクであり、そのIQは六七まで上っていたのであり、このような敦という人間一人の死亡による損害額を算定する要素としては、右被控訴人ら指摘の地域作業所における作業による収入額をそのまま使用して敦の逸失利益を算定するには適当ではないといわざるを得ない。もっとも、この不適当な部分は慰謝料の額で補完すればよい面もあろうが、慰謝料の補完機能にもおのずから限度があろうと思われるのである。

②  これを要するに、むしろ当裁判所としては、前示一六才という年少者である敦の逸失利益を算定するには、同人のそれまでの学習状況と同人の能力の伸びとそれに伴う可能性を評価し、敦には少なくとも一般就職により控訴人らが主張する平成元年の神奈川県の最低賃金(甲第八〇号証)を基礎としてその他前示の諸々の事情を勘案し、かつ、右最低賃金を固定化して昇給を勘案しない控え目な収入額とてみて、この数額を基礎として算定するならば、さほどの修正を加えることなくしてよいものと考える(すなわち、右最低賃金を固定化し、当然若干ながら前示生じることが予測できる昇給を考慮外とし、かつ、敦の不確定要因その他前示諸々の事情を勘案するならば、その修正減額率はゼロないし最高一〇パーセント程度に止めてよいと考える。)ので、これを基礎として、死亡時年令満一六才の敦が一八才から六〇才まで稼働期間中に就労により得ることが予測できる収入額とみてよいであろうから、右算定基礎とされる最低賃金は、敦就職年度である平成元年の神奈川県下の最低賃金が一日四〇〇〇円であるところ(乙第七九号証)、一か月あたり平均二二日稼働日数(控訴人は一か月につき二五日の稼働可能日を主張するが非現実的で、現実は不可能な日数なので一か月あたり二二日をもって稼働日数とみることにする。)とみて、その一二か月分の収入額を年収額とし、これに新ホフマン係数23.123を乗じた金額、すなわち、二四四一万七八八八円に前記修正率一〇パーセントの限度で減額(前記基礎とした一日当たりの労働間(全稼働日八時間)につき若干修正減額)し、かつ、二〇パーセントの生活費控除をして算出された金額、すなわち、一七五八万〇八七九円(円未満切り捨て、以下同様)と一応算出できる。

③  また、控訴人ら主張の神奈川県立養護学校高等部卒業自閉症男子生徒平均初任給は一か月八万〇二八四円(乙第六三号の一ないし四一参照)であると認められるから、敦の場合も作業所に入らず一般企業に就職可能な能力があると認められるので、この場合は修正減額を施す必要はないから右平均初任給額を基礎として逸失利益を算定することも適当である。そして一般就職の場合の最低初任給は通常年度毎に前示増加している傾向にあることは公知の事実である。そこで、右自閉症男子生徒平均初任給を基礎としての本件逸失利益の算定にあたっては、敦の不安定・不確実要因を勘案して最小限度右初任給を固定化して稼働期間中一か月あたり同金額により控え目に算出された収入額を基礎として死亡時年令満一六才の敦が高等部卒業後一八才から六〇才までの稼働期間に対応する新ホフマンの係数23.123を乗じた金額二二二七万六八八三円から二〇パーセントの生活費を控除した金額、すなわち、一七八二万一五〇六円が敦の逸失利益の額と一応算出しても決して不合理ではないと考えるのである(なお、自閉症のままで初任給固定化された収入にとどまるなら、両親、その親族の扶養、援助や公的扶助に依存する部分をみざるをえない部分もあろうから、この場合の収入額からして生活費の控除をこの程度の率にとどめても、あながち不合理とはいえないし、また、この場合も新ホフマン係数かライプニッツ係数か、いづれの係数による算定方式でも相当であり、いずれかだけを不当とすることはできないが、本件では初任給の額、最低賃金の額につき昇給を考慮せず固定化した金額を基礎として計算しているから、新ホフマン係数をとって試算してさしつかえないものと考える。)。さらに前掲林証言によれば、試験に合格して調理師として就職できた自閉症児で一〇万円程度の月給を得ている例があることが認められるところ、この金額はかなり好条件で受け入れられた場合であるとしても、同じく調理師になる希望があり、その実現の可能性が予測されうる敦にとっては、なおこの試験合格が条件であるとしても、右調理師の初任時期の収入の例も敦の逸失利益算定にあたり考慮してよい資料といえる。

④  なお、その他、控訴人らが主張する、賃金センサス全労働者全年令平均賃金や賃金センサス男子労働者全年令平均賃金等を基礎として逸失利益を算出する方法をとることもあながち不可能ではないが、敦の場合には将来発展的に解消、改善される要因を考慮しても、なお、相当大幅な割合の修正を施さなければ、そのままでは適用できないと考えられるのである。したがって、もし、これら平均賃金を基礎として敦の逸失利益を算定するというのであれば、敦の前示不確定、不安定要因をや職場における周囲の配慮を必要とする部分をも考慮しても、一般平均的な通常人と対比すると労働能力の低い部分のあることは明らかに予測されるから、その賃金の額をもってする通常人平均的能力のある労働者の場合における逸失利益総額と対比して、それより少なくとも四〇から五〇パーセント程低い金額に修正された数額をもって敦の逸失利益とみざるを得ない。なお、この方法による敦の逸失利益算定の場合には、ライプニッツ方式(係数16.480)を採るのが一般であり、また、生活費控除も五〇パーセント程度みなければならないとされているから、仮に、この方法によって敦の逸失利益の額を試算してみても、前示最低賃金や平均初任給を基礎とする方法で算出された場合と余り変わりがない、若干高いか低いかの程度の金額にとどまることになると、推測することができるのである。

⑤  もっとも被控訴人らは、敦が地域作業所に入所せず一般就職をするものとして逸失利益を算出する場合は生活費控除は五〇パーセントすべき旨主張するが、先にみた神奈川県最低賃金や神奈川県下の養護学校卒業自閉症生徒の平均初任給その収入額からしてせいぜい一〇ないし二〇パーセント程度の控除をもって足るものといわなければならない(現実に生活費の占める割合はそれ以上の割合となることもあろうが、前示の低額で固定化され低収入額を基礎とするのにとどまるとすれば、先にみたように、おのずから敦の生活費は両親その他の近親者の援助ないし公的扶助により補充、補償されることになる蓋然性が高いことになろうかと推測されるからである。)。

⑥  以上にみた諸々の算定方法により試算された各金額を比較すると、敦の逸失利益は現在に固定化してしまうことには不安定、不確実な面も多くあるが、先にみたように、これらが将来成人に成育される過程の中で発展的に解消、改善される可能性があることも推察されうるのであるから、前記本件に提出された総ての資料により、かつ、予測されうる諸々の事情をも合わせ勘案すると、結局、敦の死亡による逸失利益の額を一八〇〇万円(前示割合の生活費控除した金額)と認めても不合理ではないといえる。

⑦  なお、被控訴人らは、敦が自閉症であることから将来も地域作業所に終生入所しそこにおける作業等により与えられる金員だけに限定し、それが全逸失利益と評価するべきというが、こと人間一人の生命の価値を金額ではかるには、この作業所による収入をもって基礎とするのでは余りにも人間一人(障害児であろうが健康児であろうが)の生命の価値をはかる基礎としては低き水準の基礎となり適切ではない(極言すれば、不法行為等により生命を失われても、その時点で働く能力のない重度の障害児や重病人であれば、その者の生命の価値を全く無価値と評価されてしまうことになりかねないからである。)。

2  慰謝料について

敦自身の慰謝料については一五〇〇万円をもって、また、敦の両親である控訴人ら各人の慰謝料は各五〇〇万円をもって相当と認めるが、その理由は、以下に付加するほか、原判決説示(二一枚目裏七行目から一一行目まで)と同じであるから、これを引用する。

控訴人らは、敦死亡により控訴人ら敦の両親がそれぞれに被った独自の精神的損害としては原判決認定の控訴人各人につき各五〇〇万円では低額にすぎるというが、前示のとおり逸失利益の算定の過程において、前示諸々の事情を勘案し、かつ潜在的ながら将来にはその顕在化が予測されうる不確定要素をも考慮して財産的損害につきかなり配慮した算定額が出されているのであるから、また、敦自身の慰謝料として一五〇〇万円を認定していることでもあり、敦の両親である控訴人ら独自の慰謝料の認定に当たり、慰謝料の補完作用をさらに発揮させるまでもないと思料する。したがって、控訴人ら各人の慰謝料は、原判示のとおり各五〇〇万円をもって相当と判断する。

3  損害総額について

①  敦死亡による逸失利益一八〇〇万円(このうち原審認容額は一二〇万一一六一円でしかないところ、原判決では、これより災害共済金(死亡見舞金)としての給付額一四〇〇万円のうち右認容額の限度で控除された金額は一二〇万一一六一円にとどまるが、当裁判所は、右金額を超える災害共済給付金も後記総損害額から控除されてよいとみることは後示のとおりである。)

②  慰謝料

ⅰ 敦について一五〇〇万円

ⅱ 控訴人各人について五〇〇万円(両名分計一〇〇〇万円)

(原審認容慰謝料額は上記ⅰ及びⅱ全額である。)

③  葬祭費用

控訴人ら両名分計一〇〇万円(控訴人各人は各五〇万円宛て、上記金額は原判決認容額と同じ)をもって本件事故と相当因果関係ある敦の葬祭費用相当額と認める。

④  弁護士費用

弁護士費用四四〇万円(控訴人各人につき各二二〇万円)。これが事案の性質、難易度等に照らして本件事故と因果関係のある弁護士費用相当の損害金と算定するのが相当である(このうち、原審認容額は合計二六〇万円(控訴人各人につき各一三〇万円宛て)、したがって、控訴人各人につき各九〇万円(一三〇万円を超え二二〇万円に至るまでの金員)は、当審においてさらに増加認容した額である。)。

以上各損害額の単純合計金額は四八四〇万円(控訴人各人につき各二四二〇万円宛て)となる。

4  弁済等総損害額より控除すべき金額

①  日本体育・学校健康センターからの災害共済給付金(死亡見舞金)一四〇〇万円(この災害共済給付金(死亡見舞金)は、日本体育・学校健康センター法に基づき、被控訴人神奈川県(教育委員会教育長)と日本学校安全会(神奈川支部長)との間で免責特約を付した災害共済給付契約を締結していることによるものであることは明らかである。そして、右免責特約(同契約約款第二条)によれば、被控訴人神奈川県がその管理下の学校または保育所の児童又は生徒等の災害について同県の責任が発生した場合においては、同法に基づいて日本学校安全会が災害共済金を給付することにより、その価額の限度においてその損害賠償責任を免れるものと定められているから、本件の敦死亡事故により右日本学校安全会が給付した災害共済給付金(死亡見舞金)一四〇〇万円は、本件事故により被控訴人神奈川県が負うべきものと認められる総損害額から控除されてしかるべきものであると解される(乙第六七、第六八号証、六九号証の一ないし四参照)。(なお、控訴人らは、右死亡見舞金として給付された災害共済給付金一四〇〇万円は敦の逸失利益だけから控除されるべきものと主張するが、仮に、そのような控除方法をとっても、当審においては敦の逸失利益として一八〇〇万円を肯認しているから、右逸失利益一八〇〇万円から右災害共済給付金額一四〇〇万円全額を控除すれば残逸失利益額は四〇〇万円となり、この残額四〇〇万円だけを総損害に計上するかわりに、総損害からさらに右一四〇〇万円を控除しないでよいことになるから、いずれの方法によっても、当審において被控訴人神奈川県にさらに支払を命じる主文第三項の1及び2に掲記の認容額になんら変わりはないことになる。

②  当審係属中の平成五年一二月二一日、被控訴人國原が控訴人らに対して支払い、本件事故により控訴人らに生じた損害填補額三〇〇万円(上記の日付けで被控訴人國原から控訴人らへの右金額の支払と控訴人らによる受領の事実は当事者間に争いがない(乙第七八号証の「領収書」)。この支払金は、前示のとおり被控訴人國原個人の控訴人らに対する責任は認められないが、前示肯認された被控訴人神奈川県の控訴人らに対して賠償すべき総損害額からは損益相殺により右同額が差し引かれてよい性質のものである。

③  ちなみに、当審の審判の範囲外のものであるが、原判決主文第一項及び第二項において、被控訴人神奈川県が控訴人各人に対して支払えと命じられた「一四三〇万円及び右内金一三〇〇万円に対する昭和六二年四月一五日から右弁済の日である平成四年三月六日まで年五分の割合による遅延損害金」については、被控訴人神奈川県が当審係属後の平成四年三月六日に、これに付された仮執行を免れるためとして、当日の時点で発生している右認容に係る元金及び遅延損害金の全額を控訴人ら代理人弁護士海野宏行に対して任意に支払い、同代理人は控訴人両名のために任意右金員を受領している。この事実は、被控訴人神奈川県の主張によっても、また、当審において被控訴人らから提出された乙第七〇号証によっても、明らかとされている。しかしながら、右支払に係る金額は、原判決主文第一項及び第二項に基づく控訴人らの請求が認容された全金額であるから、もとより総損害額のうちに含まれはするが、この部分は、原審で控訴人らが勝訴した部分であり、本件控訴の範囲外の請求部分に関するものであるので、右弁済の点はここではさておくこととし、ただ、右認容額全額は、当審が原判決認容部分(審判の対象範囲外請求部分)を超えてさらに支払を命じるべき金額の算定にあたっては、この金額も前記単純合計総損害額から除外して考えるものである。

5  原審認容額に加算される控訴人二人分の合計支払金額の算定

①(元金額) 二八〇万円(四八四〇万円から一四〇〇万円、三〇〇万円及び二八六〇万円を控除した残額、控訴人各人につき一四〇万円)、したがって、原判決の認容額を超えて、さらに当審において被控訴人神奈川県に支払を命じる元金額は控訴人各人につき各一四〇万円である。

②(遅延損害金) 右元金の内金一〇〇万円(当審認容の弁護士費用相当損害額四四〇万円から原判決認容の弁護士費用相当損害金額二六〇万円を控除した残額一八〇万円(控訴人各人につき各九〇万円)を右①の元金二八〇万円(控訴人各人につき各一四〇万円)から差し引いた残額である一〇〇万円(控訴人各人につき各五〇万円))に対する昭和六二年四月一五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員

三  結論

以上のとおりであるから、原判決主文第一、二項による請求認容部分を除き、さらに当審において被控訴人神奈川県に対して控訴人ら各人に支払を命じる損害額は、各一四〇万円(原判決主文第一、第二項で認容された各損害元金である、控訴人各人につき一四三〇万円を超え一五七〇万円に至るまでの各金員)及び各内金五〇万円に対する昭和六二年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める各部分の限度で理由があるから、原判決主文第三項は右請求認容の限度で取消を免れない。

そうすると、控訴人らの本件各控訴は、①被控訴人國原に対するものは、すべて理由がないから棄却することとし、また、②被控訴人神奈川県に対するものは、右取消・請求認容の限度で理由があるが、その余は理由がないものとして棄却すべきことになる。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、九六条、八九条、九三条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を(なお仮執行宣言につき裁量の範囲で主文第六項のとおりの期間の猶予を付すものとする。)、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宍戸達德 裁判官伊藤瑩子 裁判官福島節男)

別紙

1 5,336,100円(平成三年度賃金センサス男子労働者全年齢平均賃金)×(1−0.5)(生活費控除50%)×16.480(死亡時年齢一六歳に対応するライプニッツ係数)=43,969,464円

2 4,588,500円(平成三年度賃金センサス全労働者全年齢平均賃金)×(1−0.5)(生活費控除50%)×16.480(死亡時年齢一六歳に対応するライプニッツ係数)=37,809,240円

3 (4,910円(最新の神奈川県最低賃金)×25日×12ケ月)×23.123(死亡時年齢一六歳に対応するホフマン係数)=34,060,179円

4 (80,284円(県立養護学校高等部卒業自閉症男子生徒平均初任給)×12ケ月)×23.123(死亡時年齢一六歳に対応するホフマン係数)=22,276,833円

5 (4,000円(平成元年三月時点の最低賃金)×25日×12ケ月)×23.123(死亡時年齢一六歳に対応するホフマン係数)=27,747,600円

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